2011年02月24日

普通の事が普通に出来る普通の人になってみましょう

普通の事が普通に出来る普通の人になってみましょう

一番やりたいことをやってみましょう。
それが一番の 幸せ です。
一瞬一瞬 自分の やりたい ことを してる 人は、いつでも 幸せ です。

自分自身に没頭した状態は自分自身を本当に受け入れ愛した状態です。

本当に自分自身を受け入れ愛した時、自分の目は自分に向いていて自分の全てを見る事が出来ています。
本来の自分という存在を見つける事が出来ています。

この時ヒトは めでたく 幸せな 自分に気づくでしょう。
そして無限の可能性が見えてきます。
この 本来の自分 は 本当は、いままで自分が素直になれなくて目を向けていなかったので気付かなかった自分です。

それは特別な存在ではなく、普通で当たり前の自分です。
普通で当たり前の事を普通に出来る自分です。

ところが、この特別じゃない普通で当たり前の事が出来ているヒトはあまりいません。

普通の事が普通に出来る普通の人になってみましょう。
普通の事が普通に言える人になってみましょう。

普通の事が普通に出来る普通の人とはこんなヒトです。

「ありがとう」 といつでもだれにでも言えるヒト。
「ごめんなさい」 といつでもだれにでも言えるヒト。
「許してください」 といつでもだれにでも言えるヒト。
「愛しています」 といつでもだれにでも言えるヒト。
「愉快です」 といつでも言えるヒト。
「面白いです」 といつでも言えるヒト。
笑顔をいつでもだれにでも振りまけるヒト。
自分のできる事をいつでもだれにでも提供出来るヒト。
自分のこころをいつでもだれにでも捧げることの出来るヒト。
優しさをいつでもだれにでも与えることの出来るヒト。
無償の愛でいつでも全てのひとを無条件に受け止めることの出来るヒト。

そんなヒトになってみてはどうでしょうか。

そんなヒトにあるのは
「やりたいこと、したいこと」 だけです。
「自分は自分自身を愛で受け止めている。そしてこれらはとっても楽しくて面白いことなんだ」という思いだけです。

そんな思いをもてるのは特別な人でもなんでもありません。
「私にできる事はあなたにも出来る」 とイエスキリストも言っています。

「普通のヒトにもどりたい」 と言って普通のヒトになってみましょう。

そのとき 普通のヒトになったあなたは
特別なヒトになった自分を発見するでしょう。

     いまや何処にでもいるもうひとりの私に如是我聞



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2011年02月22日

MogulRabbitに如是我聞

MogulRabbitに如是我聞

「2011年はどういう年になりますか。」


「2011年に突入して星も私たちの意識改革を全面的に後押ししているようです。
しっかり地に足をつけて、思い切り未知への扉を全開に!と叫んでいます。」

「人類の意識改革がなされて、人間本来の未知なる世界が開けてくると言うのですね。
どういうふうになされるのでしょうか。」


「議論で答えを出そうとしても もう無理。議論は『欠乏の意識』の現れ。時代の逆行。
騙されたくない、騙されたくない、と どんどんDNAが閉塞し 自分の可能性をシャットアウト。

直観に対し不安を感じ、手当たりしだい情報をかき集めないといられない。
誰も信じられない。不安だらけ。
不信感はさらに負の波動で 正の波動を突き放す。
孤立。正の波動は負を避ける。
だから不安を売り物にする人だけを引き寄せてしまう。
さらにもっと情報を集め、『理解』『分析』を続ける。
その先には 不安の正当化 しか待っていない。そしてさらに不安になる。 」


「議論は駄目、自分の直観に不安を感じるのも駄目だ と言うのですね。
どうすればいいですか。」


「逆に、リラックスし 自分の内奥に無限なる宇宙への扉があることを感じ始めると
『私は無限、愛されてる』を対話の合言葉に、どんどん拡張を続けていける。
何がしたいか、何がほしいか、どういう世界になったらいいか、そういったことを明確に描き、
はっきりとした人生の意図、使命を抱いたとたんに、宇宙エネルギーとの同化を体感。
レーザービームの正確さをもつ ぶれない意図光線はまっすぐイメージする宇宙へと続き、
引き寄せたい宇宙から直観光線が同等の正確さを持って とめどもなく流れ込んでくる。
チャクラ全開でそれぞれ異なる直観をまっすぐ受信できる。」


「自分の内奥に無限なる宇宙を見出し、明確な人生の意図、使命を抱いて生きれば宇宙エネルギーとの同化を体感でき、『私は無限、愛されてる』を対話の合言葉に、どんどん拡張を続けていけるのですね。
それは自分の内奥にある無限なる宇宙から来る内輝型世界が動き始めたとでも言えますか。」


「ついに内輝型世界が動き始めた。
今までの観念をすべて手放す。毎日生まれ変わる。
生まれてからずっと学んだものすべてを含めて統合してみて。
すべての体験に偉大なる存在からの はからいが隠れていたことに気づく。
すべてがスポポンと一つの鞘に収まってしまう、どんなに関係ないと思っていたことも。
統合、同化、共存、協調、尊重、循環が心地よい上昇スパイラルをうみだす。

さまざまな分野で切磋琢磨、人生を追求してきた人間たちが今どんどんつながっている。

プラトンが真の愛を定義したように、ストラスフィアの時空で崇高な魂たちが出会う。
やってきたことは違っても、魂がたどりついたところは同じだった。
そこでは何千年もの時間をかけて、地上の楽園が徐々にしかし確実に造られていた。」


「統合、同化、共存、協調、尊重、循環が心地よい上昇スパイラルをうみだし、
さまざまな分野で切磋琢磨、人生を追求してきた人間たちが今どんどんつながって、
何千年もの時間をかけて、地上の楽園が徐々に、しかし確実に造られてきたのですね。

いつ頃、地上の楽園は完成しますか。」


「これから2年弱で完成させていく。
地球人の愛と叡智を結集して。 」


「私たちは何をどうすればいいですか。」


「本物を見極める。それだけでいい。地上の楽園が見えるようになる。 」


「もっと具体的にはどうすればいいですか。」


「自分のイマジネーションのサイズがあなたの思い描く創造主のサイズ。
だからイマジネーションを無限大に。

つまらない、くだらない、取るに足りない、背を向けたい、気分が悪い。
それはあなた自身がつまらない、くだらない、取るに足らない、背を向けたい、気分の悪い存在と思って自分を見ているから。
あなたは無限大の愛そのもの。そのことに自信をもって。 」


「自分を矮小化して見たり、否定的にマイナスイメージで捉えずに、無限大の愛そのものが自分だと思えばいいのですね。」


「この宇宙も無限大の愛。
素晴らしい人生とは一瞬たりとも人生の素晴らしさを見逃さない心構えを持つこと。
謙虚に感動と感謝をもって人生をくまなく探してみれば人生素晴らしくないはずがない。

現実を創造するとはそういうこと。
差し出されている手が自分のものさしでは測れない無限大であることに安堵を感じて。
けっして自分と比較したりしない。ただ受け入れて。
そうすればそれはすべてあなた自身の体験になる。
そうすればそれはすべてあなた自身のかけがえのない資源となる。 」


「謙虚に感動と感謝をもって人生を生き抜けば、すべてが素晴らしい体験となり、かけがえのない資源となるのですね。
そして、それらの素晴らしい体験やかけがえのない資源で創造した現実は、計り知れない晴らしさに満ちているのですね。」


「この宇宙は、自分は知りうることができないという事実を受け入れて。
自分が理解を超えるほどの大物であるということに気づいて。

その知らないことのほとんどを私たちの脳が知ることはおそらくできないけれど
その計り知れない大きさを、直観で感じ取り、身をゆだね、母の胸のように甘えて。

そして今はまさにその無限大の未知というものを抱きしめ返すとき。 」

「計り知れない大きさを、直観で感じ取り、それに身をゆだね、母の胸のように甘えて、そして今はまさにその無限大の未知というものを抱きしめ返すときであり、そういうことができるのが私たちの本来のあり方なのだと気付くべきなのですね。

無限大の未知というものを抱きしめ返すとき というのはどういうことですか。」


「そして今はまさにその無限大の未知というものを抱きしめ返すとき

太陽がうお座に入り、あしたは水星も、あさっては火星も 
うお座入りし天王星の仲間入り。
未知への扉をあけるとき。何も見えない。でも心の目にはすべてが見える。
未知からの言葉を受け取るとき。何も聞こえない。でも心の耳には聴こえてる。

インディ・ジョーンズが聖なる杯を手に入れるために渡った見えない橋。
信じれば橋が現れる。見えないけれどそこにある。直観でわかる。

アセンション、アセンションと世の人はいうけれど。どこにも上がっていく必要はない。
ホットスポット、聖地、霊山と人はいうけれど。どこにも行く必要はない。

これはいいけどあれはだめと人はいうけれど。すべてよし。

世界中の人が今いる場所から内奥の宇宙への扉をひらき、魂がつながる。
話さなくても、名前を知らなくても、必ず私たちがみんなの人生と影響しあっている。

間違いなく、今、私たちはこの瞬間に世界を変えている。

自分の抱く欠乏の意識で世界を壊し続けるの、それとも。

イマジネーション=愛=直観=光。

ふつふつとわきあがる豊かさへの懐かしさ、愛。それだけが真実。」


「今、ここ、中今に 愛ある黄金の光溢れる愉楽世界をみんなで創造しているのですね。」

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posted by 中今呑 at 20:34| Comment(0) | 訊く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月21日

『今、ここに』

『 いま ここ 』 に

現実の自分をありのままに観察せよ
勇気を持ってありのままを見よ

窮屈な重い鎧を纏った虚体が見える
欺瞞に満ちた偽の顔 仮面が見える
知らぬ間にそんな仮面虚体で生きている

仮面も虚体も 凍てついた 氷 のようだ

氷 とは 恐怖

嫌悪される 恐怖
軽蔑される 恐怖
ものを失う 恐怖
受容されぬ 恐怖
無視される 恐怖
傷つき痛む 恐怖

様々な恐怖が心を縛り
自由を凍てつかせる


まずはその氷を溶かせ
氷を溶かすのは 愛の熱のみ

恐怖は愛の前で 無力

長い恐怖の幻想に疲れ果てた魂は
仮面と鎧の氷の奥に
愛の火種を掘り起こす

そしてその愛を
人に与えようとすることで
愛の火種が赤く燃えはじめ
徐々に氷が溶け始める

じつにそれは
愛を得ようとするときではなく
愛を与えようとするときに
赤く赤く 燃え滾(たぎ)る

やがて
氷は焔に包まれ
その虚体を消していく

恐怖の虚体が
愛の焔で消えていく


仮面と鎧を脱いで
自由になった魂は

本来の自己 を思い出す

今や 見せかけの虚体ではない呼吸を始める

自己を解放し 自由なエネルギーが漲(みなぎ)りだす

ありのままの自分が
歓喜に包まれ
そのままの自己であることを祝福する

自由の自覚
微笑み
感激
愛の授受

この時点で
初めて 人は
自己本来の面目 と出逢う

他者の目の中に映していた自己の
幻影を生きるのをやめ

もう 自己の価値を他者の評価に委ねはしない

「覚醒めた意識」 を養うため
「いま ここ」 に留意するため
行動のまっただ中で 
「いま ここ」 にある動かぬ自己に気づいていく

無限意識に
有限意識を呑却して
気づきに基づいた真なる生活が習慣となる
やがて
あらゆる 名前や役割 が消え去り
投影して見えていた幻想が消滅する

全てが混沌 カオスとなり
全てを空(くう) が呑却する


ただあるものがある
ありのままの世界がある

見よ 見よ

混沌 カオス の中に 
あるがままの秩序 コスモス が見え始める

混沌の秩序

それは自由自在で
あらゆる可能性に満ちた世界 

何ひとつ繰り返される事もなく
瞬間瞬間に生まれる 奇蹟

それは創造

これが生きているということ

ここに来て初めて
生きているという事の
本当の現実存在を実覚知する

それは創造

今この瞬間を創造する

瞬間には 「時間」 という幅はなく
そこに過去や未来の場所はない

 時間 は 中今 に 呑み込まれている

今や 時間 という 幻想 は消え去り
それと共にその他の多くの幻影も消滅する


時間を超越し 呑却した 今

「 いま ここ 」 「中今」 の新しい世界が出現する

水平線と垂直線が「 いま ここ 」 「中今」 で交わる

「 いま ここ 」 「中今」  は 永遠の 合氣の一閃

そこでは因縁生起 相互依存の関係が
 「中今」 に呑み込まれる


愛 安心 信頼 一体感 愉楽 といった
素晴しい感情が
 実存 の蘊奥(うんおう)にみなぎる

その時 
疑惑や批判や不信の影は消え
あらゆる行為が
自己の存在を確認し
祝福するものとなる

その時
今ここ瞬間中今の自己は
無限 に溶け込む

その時
愛と喜びに包まれながら
考えられる限りの
最高の生存模様が歓喜する

その時
「 空間 」 という最後の幻影も消え去る

その時
ついに 「大いなるひとつのもの」 のみが
そこにある


もはや
この世には
自己以上のものも
自己以下のものも
ありえない

すべてが自己であり
 「大いなるひとつのもの」 である

すべては 自然に流れ行く
自ずから 然るべく

真理はいつも明白
何一つ隠されることなく
いつも目の前に そのまま 展開する


今 目の前に広がる 深遠な神秘


今 多くの魂達が
目覚めの季節を迎えている

それは連鎖反応のように
次々と大地に開花し
やがては地球全体を覆いつくす

その時 
無数に分裂していた意識の破片が

「大いなるひとつのもの」 に回帰する


やり方は簡単

怖れを捨て
「自己本来の面目」 を生きるのみ

それを始めた途端
事態は一変する

同じ 「 想 」 を生きる仲間達と
全ての必要を満たしあう

ありのままに素直に行えば
事は 楽しく 愉快に 運ぶ

自然に 事 は生起する

すべては 自由 に流れいく


覚醒するもよし

幻想の夢を見続けるもよし


すでに 全ては 「大いなるひとつのもの」 

正確には
今までも そして 中今 而今(にこん)も
 
「大いなるひとつのもの」 である事を想起する


この世には

それ以上の真理はなく

それ以上の神秘もない


そのままがそのままに

『 いま ここ 』 『中今』 に ある だけだ


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posted by 中今呑 at 20:33| Comment(0) | 創造論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

量子力学・般若心経


 量子力学・般若心経  

「私達人類はどのようにしてこの地球上に存在しているのでしょうか。

実はこの宇宙と思っている大宇宙は、宇宙空間の中に幾重にもおり重なって存在しています。

私達はその中の一つの宇宙に属しているのですが、この宇宙にも様々な場があり、多くの現象宇宙が無限にあるのです。

そう言う現象宇宙というのは、現象的には爆発や収縮というエネルギー運動によって表出され、その宇宙には音あり、光ありでとても流動的であり、幻想的です。

ということは一瞬一瞬の創造現象が中今(今という瞬間)にのみ存在しているのです。

つまり、この現象世界は創造の真っ只中にあるものですから、その中今から考えたら、前も後ろも「空(くう)」なのです。

だから、過去も未来も空なのです。

空の中から中今の一瞬に創造現象が出現して、つぎの刹那には空に戻るということを絶えず繰り返しているのです。

その中で オーン と音が発生し、音と光が共鳴した瞬間に意識の記憶が明記されていきます。

それが私達の細胞においてはDNAに記録されているのです。

そうして、この縦・横・高さの物質次元として地球を生み出し、音と光と熱を使って創造活動を続け、その意図をDNAのなかにあるような幾何学文様の記号として記録し、この大自然の海や山や河や岩や動植物などのあらゆるものに、そして人間の遺伝子に情報として組み込みました。

特にこの地球は全体が水で覆われた「水の惑星」として出現し、その水量の多さと海と陸の割合が7対3に保たれ、私達人類も体内水分量がほぼ同じ割合の70パーセント内外で生きているということは地球も人類も同一創造力からできていることの証明です。

そしてこの地球には様々な形で出現したいろいろな生命体が、長い期間、水中に漂い発芽していく行程を経て、生命が水の中から生まれたこともまさに人間の母胎における発生過程を観ると明らかなことです。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=234115279&owner_id=6230586 

そしてそれは今も繰り返されているのです。」

「空(くう)とはどういうものですか。」

「この世のあり方は、般若心経に書いてあるのですが、色即是空、空即是色という言葉で表わされているといっても良いと思います。

これはどんな意味かといいますと、「色」とは目に見えたり、形があるもの、つまり、物質的現象として存在するもののことです。

「空」というのは「何もない状態」のことで、実体として、主体として捉えるべきものがない状態のことです。

そうしますと、色即是空というのは、われわれの肉体や物質は「空」である、実体のないものである、ということになります。

空即是色というのは、空は色である、空は物質である、ということになります。

そういうことから考えますと、われわれは空から生まれてきたのだなと思えます。

空とは無限といってもいいでしょう。ですから、われわれは、無限界から生まれて来たということのようです。」

「おもしろいですね。空についてもう少しお話願えませんか。」

「では、般若心経の空についてもう少し話してみましょう。

般若心経には 『五蘊皆空と照見して一切の苦厄を度したもう』 と書いてあります。

これこそがお釈迦様の悟りで、沢山ある般若経もこのフレーズの解説に過ぎません。

法華経もこのお釈迦様の悟りに導くための方便品の羅列集です。」

「そしたら、ここに書いてある空がわかれば悟れるということになりますね。このフレーズから説明してください。」

「五蘊とは煩悩を引き起こすもので、色(肉体)・受(感覚)・想(想像)・行(心の作用)・識(意識)の五つです。

これら五つをみな空だと照見すれば、一切の苦厄が解消して、生きる喜びにあふれた涅槃の世界に遊ぶことができるという意味でしょう。」

「すべての苦、つまり、四苦八苦を一気に解消して、涅槃の境地に至るには空の実相を知る必要がありそうですね。

四苦八苦とはなんですか。そして、空とはどのように考えたらいいのでしょうか。」

「四苦とは生、老、病、死のことです。

八苦とは生、老、病、死の四苦に愛別離苦(愛するものと離別する苦しみ)、怨憎会苦(怨めしく憎らしいものと会わねばならぬ苦しみ)、求不得苦(欲しいものを求めても得られない苦しみ)、五陰盛苦(五蘊が引き起こすあらゆる苦しみ)を加えたものです。」

「空についてもお願いします。」

「それでは般若心経を訳出してみましょう。

『観自在菩薩が般若羅蜜多を唱える深い行にはいった時、五蘊である色受想行識は皆空だと悟って、一切の苦厄を解消した。 
舎利子よ。形あるものも、その実態は空であり、空はただちに形あるものとなり得る。

形あるものとは実体がないものであって、実体がないからこそ形あるものなのである。

感じたり(受)、想ったり(想)、意志を持ったり(行)、知ったり(識)する心の働きも、実体がないのだ。

 舎利子よ。この世の存在するすべてに実体がないのだから、生じもせず、滅しもせず、穢れもせず、清くもならず、増えもせず、減りもしない。

それゆえに、空の中では、形ある物質や肉体もなく、感じたり、想ったり、意志を持ったり、知ったりすることもない。

見ることもなく、聞くこともなく、嗅ぐこともなく、味わうこともなく、触れることもなく、心に感じることもない。

色かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触感もなく、心を動かすものもない。

目に実際に見える世界もなく、あるいは意識の中の世界もない。

人の苦しみの根源である無明もなく、また無明が尽き果てることもない。

それと同じように、老いることも死ぬこともなく、また老いることと死ぬことが尽き果てることもない。

苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをなくすことも、苦しみをなくす道もない。

知ることもなく、得るところもない。

そういう空の実相を直覚し得たなら、心に思い煩いがなく、思い煩いがない故に、恐怖はありえず、一切の、煩悩による誤った想念から遠く離れて、心の静まった安らぎの境地である涅槃に至る。

過去、現在、未来にまします無数に多くの仏たちは、般若波羅蜜多を唱える行によって、この空の実相を直覚することができ、無上正等正覚の完全なさとりを得るに至るのだ。

故に般若波羅蜜多は是れ大神咒であり、是れ大明咒であり、是れ無上咒であり、是れ無等等咒である。

能く一切の苦を除き、真実にして虚ではない。

故に般若波羅蜜多の咒を説く、即ち咒を説いて曰く。

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経』 」

「では空の実相を直覚するにはどうすればいいのでしょうか。」

「般若心経には 『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄』 (観自在菩薩が般若波羅蜜多を深く行じた時、五蘊はみな空だと照見して、一切の苦厄を解消した)とあります。

観自在菩薩、つまり、さらなる完全な悟りを求める人が般若波羅蜜多を深く行じたら、この世のあらゆる現象は空であるとわかったのですから、般若波羅蜜多を深く行じればいいのです。」

「般若波羅蜜多を深く行じるとは具体的に、何をすればいいのでしょうか。」

「『般若波羅蜜多は是れ大神咒なり、是れ大明咒なり、是れ無上咒なり、是れ無等等咒なり、能く一切の苦を除き、真実にして虚ならず、故に般若波羅蜜多の咒を説く、即ち咒を説いて曰く』とありますから 『咒を唱えよ』 ということでしょう。」

「咒とはなんですか。」

「般若心経においては、『ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボディ スヴァーハー』 です。」

「それは意味のある言葉なのですか。」

「サンスクリット語です。意味は単純に訳すと 『渡った、渡った、彼岸へ渡った、完全に渡った、おめでとう』 となります。」

「なんだか、深遠な空の実相とは程遠い感じがしますが。」

「真理とは単純なものです。彼岸へ渡る事を最終目的とする人々にとっては、この咒こそが最良のものです。

仏教においては 五蘊を空と照見して一切の苦厄を度し、涅槃の境地へ至ること、つまり、悟ることを『彼岸へ渡る』とたとえていますから、悟るため、『彼岸へ渡る』ための咒は『渡った渡った、彼岸へ渡った、おめでとう』 でいいのです。」

「目的によって咒も違って来るのですか。」

「そうです。咒は目的を象徴的に言葉で表わしたものです。

目的達成のイメージ(想念)を言葉に込めて唱えやすくまとめたものといったら解かりやすいでしょうか。」

「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経(ギャーテ ギャーテ ハーラーギャーテ ハラソーギャーテ ボジソワカ ハンニャシンキョウ)じゃなくてもいいのですか。」

「そうです。その人の願いに合わせて、思うとおりの言葉を自分で自分の咒にしていいのです。いや、その方がむしろいいのです。」

「それは、人間は誰でも、自らの願望を達成するために、その願望を言葉にして唱えればいいということですか。」

「そのとおりです。何度も取り上げますが、聖書に
 
『はじめに言葉あり。 言葉は神とともにあり。 言葉は神であった。』 

と書いてあります。

これは、言葉は神であり言葉には神と同じ創造力があるということです。

たとえば、神様が『光あれ』と言われたら光ができました。

それは神様が、『光あれ』と言葉で言われたから出来たのです。

つまり、言葉には創造力があるということなのです。

このように考えると、咒は創造力のある言葉ですから、その咒の持つ想念がそのとおりに創造されるのです。

ですから、咒はあなたの願いに応じて、あなたの言葉で唱えるべきものです。」

「般若心経の読み方において目から鱗が落ちた気がします。

どうやって読み解いたのですか。」

「前にも取り上げましたが、インドの古い本であるウパニシャッドに

――太初には、この世は実にブラフマンのみであった。
それは自分自身を『われはブラフマンなり』 と自覚した。
その結果それは一切となった。
神々のうちでこれ(ブラフマン)を自覚した者は誰でも、それ(一切)となった。
聖仙たちにとっても、人間たちにとっても同様である。
(『ブリハット・アーラニヤカ・ウパニシャッド』1・4・10)――

と書いてあります。

これを読んだ時、人間は誰でも自らが何者であるのかを自覚しさえすればそのとおりになれるのだと思いました。

そこで、その時、私はこの世の真理を悟りたいと思っていましたので、そのまま

『私はこの世の真理を悟った』

と唱えることにしたのです。

そうしたら、これまで話してきたようなことがわかったのです。」

「ブラフマンとはなんですか。」

「ここでいうブラフマンとは 『宇宙の最高原理』 を示すインド哲学の術語で、生気(プラーナ)、意(マナス)、言葉(バーチュ)などの精神原理を超え、個体を統一する普遍的な最高実在であるアートマンと同一視されているものです。

神や仏、宇宙大生命、サムシンググレートなどと呼ばれているものとおなじだと思えばいいでしょう。」

「それで、『私はこの世の真理を悟った』と言ってから般若心経を読んだら理解できたというのですか。」

「そうです。私の切実な願望をそのまま言葉にした『私はこの世の真理を悟った』という咒によって、読み解いたのです。」

「空について頭の中ではそれなりのイメージが持てましたが、今までの話は宗教的というか観念論に片寄り過ぎているとは言えませんか。

科学的な説明も出来るのでしょうか。」

「わたしはこの現象世界を創造の真っ只中にあるものと思っていますから、その中今から考えたら、前も後ろも空だと思っています。

だから、過去も未来も空なのです。空の中から中今の一瞬に創造現象が出現して、つぎの刹那には空に戻るということを絶えず繰り返しているのです。

これが先ほど話した諸行無常、諸法無我ということなのです。

――「諸行無常ということばが仏教用語にあります。
これは、仏教の根本思想である三法印の一つで、意味は、万物は常に変化して少しの間もとどまらない、ということになります。」
「それらと創造力とはどんな関係がありますか。」
「それを少し説明しましょう。
三法印の二つ目は諸法無我です。
これは、いかなる存在も永遠不変の実体を有しない、と言う意味です。
もう一つは涅槃寂静で、煩悩を断じた悟りの世界は、心の静まった安らぎの境地であるということです。
ついでに、一切皆苦を三法印に加えて四法印ともいっています。
一切皆苦とは、一切の現象的存在はすべて苦である、という意味です。
 さて、この三法印、四法印と、人の創造力とのかかわりですが、これは創造現象とそれにまつわる付帯事情を、人間生活に事寄せていい表わしたものだと思えばすぐわかります。
つまり、この世は一瞬一瞬が創造現象ですから、諸行無常である事に間違いありません。
また、この世に存在するものは、中今の一瞬にしか留まり得ない一瞬一瞬の創造物ですから、当然、永遠不変の実体を有しない諸法無我であるのも頷けます。
ここで、諸行無常、諸法無我を悟れば、つまり、この世は創造現象の真っ只中の中今にしか存在しない事、を包括的に悟り得れば、涅槃寂静の世界が中今眼前にあるのです。――

この話が宗教的観念論的だという指摘はその通りですが、ここでは創造力というキーワード
を登場させて説明しています。

実は私の話は『人間は神と同じ創造力を持っている』ということに集約されます。

一方、科学的説明は出来ないかという点については、現代物理学の本において 『ホーキングの最新宇宙論』などを見ると、次のようなことが書いてあります。

『量子力学によれば、空間は“仮想的な”粒子と反粒子の対で満たされています。

この対は、つねに粒子と反粒子の対の形で生成し互いに遠ざかっていき、しまいには、また近づいてきて、対消滅してしまうのです。

これらの粒子と反粒子が仮想的といわれるのは“実在”の粒子とは違い、粒子検出器で直接観測することができないからです。

それにもかかわらず、仮想粒子の効果を間接的に測定することはできます。

仮想粒子が実在することは、励起状態にある水素原子から出る光のスペクトルに生じる小さなズレ(ラムシフトという)から確かめられています。』

『真空とはなにもない状態ではなく、不確定性原理により許される短い時間内で、絶えず粒子とその反粒子が対になって生成・消滅を繰り返している』

現代物理学においてもこのように真空について述べていますから、般若心経の空とはその表現
方法に多少違いがあるにしても、科学的思考に慣らされた頭の持ち主にも、理解するための取
っ掛かりにはなると思います。」
posted by 中今呑 at 21:38| Comment(0) | 創造論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

『第24回』今・ここ

中今呑先生、書くの如く語る・・・・・・・・・


『 いま ここ 』 に

現実の自分をありのままに観察せよ
勇気を持ってありのままを見ること

そこに見えるのは
窮屈な重い鎧を纏った虚体
欺瞞に満ちた偽の顔 仮面

人は知らぬ間にそんな仮面虚体で生きている

動くには重くて不自由
しかし 今では
その重さにも不自由さにも慣れきって
重い鎧を纏っていることさえ忘れている

だから自分の意志では脱ごうともしない

仮面も鎧もすっかり 氷 ついている

氷とは 恐怖

嫌悪される 恐怖
軽蔑される 恐怖
ものを失う 恐怖
受容されない 恐怖
無視される 恐怖
傷つく 恐怖

様々な恐怖が心を縛り
自由を凍らせる


まずはその氷を溶かせ

氷を溶かすのは 熱

熱は 愛の熱のみ

恐怖は愛の前で 無力

恐怖は恐怖にのみ
その力を発揮する

長い恐怖の幻想に疲れ果て
人は 冷たい仮面と鎧の奥に
愛の火種を掘り起こす

そしてその愛を
人に与えようとすることで

自らの火種が赤く燃えはじめ
徐々に氷が溶け始める

じつにそれは
愛を得ようとするときでなく
愛を与えようとするときに
赤く赤く 燃え滾(たぎ)る

やがて
氷は焔に包まれ
その虚体を消していく

恐怖の虚体が
愛の焔で消えていく


仮面と鎧を脱いで
自由になった魂は

本来の自己を思い出す

それはとても懐かしい感覚

やっと自分本来の顔を取り戻す

真性な笑い
真性な涙
真性な言葉

今や見せかけではない
自分が呼吸を始める

恐れることなく自己を解放し
開けた広大な空間で
自由なエネルギーと戯れる

ありのままの自分が
歓喜に包まれ
自分であることを祝福する

音楽の調べ
舞い踊り
自由の自覚
微笑み
感涙
感激
愛の授受

それは命の祭り

存在との交感

自然の祝福


この時点で
初めて 人は
本当の自分として立つことができる

それまでは
他者の目の中に映していた自分の
幻影を生きていただけ

他者に気に入ってもらうために
思ってもいないことを言い

他者に認めてもらうために
自分の思いとは違う行動をとってきた

自分の価値を他者の評価に委ねていたのだ


「覚醒(めざ)めた意識」
「Awareness」

「覚醒めた意識」を養うため
「いま ここ」に留意するため

「静中の工夫」
「動中の工夫」

行動のまっただ中で 
「いま ここ」 にある動かぬ自己に気づいていく

それらは
苦行ではない

無限意識に
有限意識を持ち込むためであり
深刻さや長時間にわたる我慢や忍耐とは
何の関係もない

気づきに基づいた新しい生活習慣のようなもの


「 私を見ろ
私は実に6年もの間
難行苦行をしてきた魂だ 」

そんな風に
精神の道を歩むための修行を勲章にして
自分の偉大さを証明するための
道具にしてしまう

社会的地位や物で自分を飾るのも
精神的苦行経験で自分を飾るのも

むなしい

「修行もどきによる魔境」 

現代社会に見え隠れする
精神世界の落し穴

まだ君は
意識の中に 「社会という名の見えない秩序」 を持っている
外側に映る全てが 整然と見えている

ありのままの現実と向き合っているのではなく
自分の価値観を投影して作った幻想の世界で生きている

そんな生活が続く中で
自分の価値観や幻想がすっかり固まり

やがては
本来 実体 ではなかった
自分本位の 「社会という秩序」が
君の中で 実体 となっているのだ



あらゆる 名前や役割 が消え去り
投影して見えていた幻想が無くなる

全てが混沌 カオスとなる

最初はそこに
大きな不安と戸惑いを感じる

それ故に
君は無意識にこの次元から目をそらし
気づかないふりをしてしまう



ただあるものがある
ありのままの世界を

見よ 見よ

世界が変わったわけではない

ただ見え方が変わっただけだ

混沌 カオス の中に 
あるがままの秩序 コスモス が見え始める

混沌の秩序

それは自由自在で
あらゆる可能性に満ちた世界 

何ひとつ繰り返される事もなく
瞬間瞬間に生まれ続ける 奇蹟

それは創造

それは生きているということ

皮肉にも
君はここに来て初めて
生きているという事の
本当の現実存在を知る

それは創造

今この瞬間に起こり続けている

瞬間には「時間」という幅はなく
そこに過去や未来は入り込めない

ここに至って
君は 時間 を 中今 に 呑み込む

今や時間という幻想は消え去り
それと共にその他の多くの幻影が消滅する


時間を超越した今

「 いま ここ 」 の新しい世界が出現する

水平線と垂直線が「 いま ここ 」で交わる

「 いま ここ 」 は 永遠の 合氣の一閃

そこでは因縁生起 相互依存の関係が展開する


愛 安心 信頼 一体感 愉楽 といった
素晴しい感情が
 実存 の蘊奥(うんおう)から湧出する

その時 
疑惑や批判や不信の影は消え
あらゆる行為が
自分の存在を確認し
祝福するものとなる

その時
君は 瞬間瞬間の自己を

無限 に溶け込ませる

その時
君は 愛と喜びに包まれながら
考えられる限りの
最高の生存模様を楽しむ

その時
「 空間 」 という最後の幻影も消え去る

その時
君は ついに 「大いなるひとつのもの」 になる


もはや
この世には
君以上のものも
君以下のものも
いなくなる

すべてが君なのだ

すべては自然に流れ行く
自ずから然るべく

真理はいつも明白
何一つ隠されることなく
いつも目の前に展開する


今 目の前に広がる 深遠な神秘


今 多くの魂達が
目覚めの季節を迎えている

それは連鎖反応のように
次々と大地に花開き
やがては地球全体を覆いつくす

その時 
無数に分裂していた意識の破片が

「大いなるひとつのもの」 に回帰する


やり方は簡単

怖れを捨て
「自己本来の面目」 を生きるのみ

それを始めた途端
事態は一変する


君は一人ではない

同じ「 想 」を生きる仲間達と
全ての必要を満たしあう

君がありのままであれば
事はますます 楽しく 運ぶ

自然に 事 は生起する

すべての 自由 は君にある


覚醒するもよし

幻想の夢を見続けるもよし


すでに 君は 「大いなるひとつのもの」 

正確には
今までも そして 中今 而今(にこん)も
 
「大いなるひとつのもの」 である事を思い出す


この世には

君以上の真理はなく

君以上の神秘もない


そのままの君が

『 いま ここ 』 にいるだけだ


2008年11月10日の日記より
posted by 中今呑 at 11:51| Comment(28) | 創造論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

『第23回』風水など

中今呑先生、書くの如く語る・・・・・・・・・・・・・・
「風水などについてお話ください。」

「本来の風水は、 人と大地と自然が調和する 意味合いの崇高なものだった。

今、世の中に氾濫している風水は 『開運』 とか 『成功』 とか 『金運』 など、 所詮、有限物質界に生きる人間に都合が良いような目先の利益追求のための活用方法がほとんどだ。」

「霊的無限意識世界の人たちはそんな風潮をどんな風にみていますか。」

「活用したければすればいい。どっちにしても本人の心持ち次第だから、 というなんともシンプルで、あっさりした答えしか返ってこない。」

「この風水に囚われすぎて  『方角は、こうじゃないといけない』  『色は、こうでないといけない』  『置物は、こういうものでないといけない』  と全て  『いけない』  づくしになってしまって自分を苦しめている人がいますが。」

「今年のラッキーカラー、置物、食べ物など、あまりにもそういった俗な情報に影響されている人が多いが、 そんなものは、自分で決めればいいことだ。

 好きな色の服を着て、好きな食べ物を食べて、好きなデザインの装飾品を置いて 楽しめば いいのだ。

 何が言いたいのかというと、結局は、『全て自己責任で 面白おかしく 楽しく 生きよ 』 ということだ。

 良い環境の部屋を選んだのも、悪い環境の部屋を選んだのも、そして、人生の全ての選択においても全て自分で決めたことなら、失敗はあったとしても絶対に後悔はないはず。」

「失敗はどのように考えるのですか。」

「実のところ失敗などというものはこの世にないのだが、俗にいう失敗のような事態になったとしても

 『まっ、自分で決めたことなら、仕方ないか。次は失敗しないようにしよう。』

とより良い人生に向うための 『貴重な学び体験となる』 と考えればいい。」

「それらは偶然の体験なのでしょうか。」

「われわれの身に起こる全ての出来事に偶然はない。

 全て、何かしらの縁があって、そして、お互いの心の波長が引き合って 起こっていること。

 良くない出来事やトラブルが起こるのを家や土地などの環境のせいにしたり、他人のせいにするのは、無責任で本当に情けない自分で自分を生きていない人間のすることだ。

勿論、『穢れ地』 と呼ばれる土地や家も全国探せば、存在する。

でも、その 『穢れ地』 と縁があること自体、本人たちの魂にとって必要な勉強なのかも知れない。

少なくとも、魂の波長が高い人はそういった場所は 『なんとなく嫌だな』 と感じて避けるものだ。」

「霊能者や占い師に相談するのは無意味ですか。」

「無意味なものは この世に何もないが (相談しようと決めるのも自分だからどうでもいい) そうする必要はない。

色々な人生においての大きな決断はあれこれ悩んで、霊能者や占い師まわりをするのではなく (しても一向にかまわないが)、普段から自分自身の 『こっちだ、これだ』 という感性を大切にして生きることのほうが大切だ。

そして、大きな決断であればあるほど、あまり深く考え込まず、あっさりと決めるくらいに 自己内側の心の声 (自己本来の面目から来る直観) を信用できる自分作りをしておかなければならぬ。

 自分で決めた道なら、どんな人生であったとしても それを受け止めて、その道を進み、よく頑張った自分を、自分で褒めてあげるくらいの心の感性を身に付けておきたいものだ。」

2009年11月01日の日記より
posted by 中今呑 at 14:41| Comment(7) | 創造論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

セミナーのお知らせ

12月6日(日)午後1時から5時

中今呑先生と真鍋白鷹先生のコラボ講座『『中今塾』が開催されます。



マクロビオティックって本当は玄米菜食のことではないのです。
本当は宇宙の構造「陰陽理論」「無双原理」を生活全般に当てはめ、健康へと導くものです。
「心と体をつなげるワーク」の真鍋白鷹さんhttp://ajiaseitai.blog.shinobi.jp/の体を使った「生きる知恵」と中島牧人さんの創造論語の講演やマクロビオティックなどで、頭ではわかっているけど、実際に体験しないとわからないことを、お二人のコラボで体験していきます。

●1・マクロビ食養を試したけど効果がでないのはなぜ?
・・・・マクロビオティック食養法の本質は神棚食にある。

●2・皮内鍼(ひないしん)を自分で出来るように実演と指導していきます。
皮内鍼とは患部の皮膚表面に小さな針を刺入し、絆創膏で抜けないように固定するものです。全く無痛的に安全に行えるもので、様々な痛みに驚くほど効果があります。

●3・マイナスイオン発生器(魔法のランプ)
中島先生考案の誰でも手軽につくれるマイナスイオン発生器を紹介します。
ウイルスから身を守る効果もあります。

●4・真鍋さんによる「心と体と癒す方法」
「受け容れる」「手放す」「認める」といったことを体を使って習得し、日常生活での意識を変えていきます。「受け容れる」とはどういうことなのか?自分は何をしていて、何をしていないのか?といったところから、人間関係や健康問題、ストレスといったあらゆる障害を「癒し」へと導いていく方法や、他人との一体化を体験し、自分が変われば他人も変わるという秘伝テクニックなどを学んでいきます。

★会場:神戸健康道場 「サラ・シャンティ」http://www.npo.co.jp/santi/

★日時:12月6日(日):午後1時から5時まで

★参加日:4000円(当日5000円)
申し込みはメールまで「中今塾参加」と明記して申し込みください。


(動きやすい服装をご持参ください。)

posted by 中今呑 at 10:14| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

『第22回』猫も杓子も

中今呑先生 書くの如く語る・・・・・・・・・・・・・



「猫についてお話ください。」

「猫という漢字は、獣偏で動物をあらわし、つくりの部分の「草」と「田」の字は、口を十の字で塞さがれたものが草葉の蔭に封じ込められた姿と読み取れます。

口を十の字で塞さがれたものが草葉の蔭に封じ込められた姿というのは封印された言葉の存在を意味しています。」

「封印された言葉とはなんでしょうか。」

「あなたは何事も直截に質問しますね。

ま、順序よく話させてください。

また、「草」と「田」の字は クロスエネルギー(キリスト意識) を包んで守っているという意味があるという人もいます。

猫は、 キリスト意識をもっている存在 という意味が、漢字に隠されているというのです。
 
しかも、猫は、不思議な存在で、聖書の中に、猫がでてこないというのが、聖書学者の中で、最大のミステリーにもなっていて、封印された言葉と猫はやはり関係がありそうです。

ある宇宙聖人は

「現実と夢の世界の両方ともが中今の現実に呑み込まれ、畳み込まれたものだということを、深く理解している存在が猫だ。」といっていました。」

「寝ているのか起きているのかわからないということでしょうか。」

「あ。ま、そうですね。

そういえば、猫は、よく眠りますね。

「寝る子」が、「寝子(ねこ)」から、「猫(ねこ)」になったという語源説を立ててみましょう。

夢か現か
虚か実か

夢も現も
虚も実も

色即是空
空即是色

猫も杓子も
愉楽の世界  」

「猫も杓子も愉楽の世界 て それは詩歌ですか。」

「神官の長を神主(かんぬし)といいます。

その神主の下の位を禰宜(ねぎ)といい、そしてさらに、禰宜の子孫を禰子(ねこ)といいます。」

また、仏弟子を釈子(しゃくし)といいます。

お釈迦さまの弟子、お釈迦さまの教えを受け継ぐ者たちのことです。

「猫も杓子も」という言葉は、もとは、「禰子も釈子も」であったとおもわれます。

つまり、神様の氏子も、お釈迦さまの弟子も、みんないっしょにと言うことです。

日本では、神道と仏教とでほとんどでしたから、禰子と釈子で日本国民すべてとなります。

これから転じて「どんなものも、みなすべて」の意味になったのです。

 それが、いつしか、猫と杓子になったのでしょう。

「猫も杓子も愉楽の世界」という言葉は、あらゆる宗教や思想の 統合や和解、「無限意識への回帰」の意味だと理解したいものです。

そのような思いつきに至ったとき、迷子の子猫のチビちゃんの出現は 自己本来の面目たる無限意識 への 気づき の時節を告げ知らせる ねむり猫の目覚め と読み解きました。」

「素晴らしい さにわ ぶりですね。そのへんのことが封印された言葉なのだとおっしゃりたいのですね。」

2007年03月28日の日記より
posted by 中今呑 at 12:08| Comment(5) | 創造論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

『第21回』 本来の自分に気づけばそれでいい

中今呑先生 書くの如く語る・・・・・・・・・・・・・

本来の自分に気づけばそれでいい

 人は自分の方向を見失って悩みの中に落ち込んでしまうことがある。

自分はなんてダメなのだろう、なんて不幸なのだろう、
とネガティブな思いばかりが起きてしまうのだ。

しかし、とことん悩んでいる内に
何とかこれを立て直そう
という気持ちが湧いてきて、座って瞑想してみる。

そうすると、悩んでいる自分を支えるエネルギーさえなくなってしまって、
全てを手放してしまい、なにもかも全部捨ててしまっている自分に気付く。

すると不思議なことに、空っぽになった自分の内部から
エネルギーが湧いてきて、
急に生気を取り戻し、
周りの物音や風景が新鮮な装いを持って
意識の中に飛び込んでくるようになる。

それまでは自分のことだけにこだわっていたのに、
その時から、周りのものすべてに親しみが湧いてきて、
部屋の外にある大地や、草の存在までもが自分自身のように感じられる。

田んぼの稲穂がキラキラと輝き、田んぼ全体が黄金色に輝いて見え、
小鳥のさえずりが楽しく聞こえ、自然の全ての音が喜びを表現しているように聞こえる。

 このように、自己を失くしたどん底の状態から、一瞬にして、
悩みも何も自分が作った妄想だというように思えてきて、
一切の悩みが跡形もなく消えてなくなった状態になるという体験をする。

 そんな体験をすると、意識の中の問題もすべて消え、解決してしまう。

 問題と言うのはすべて意識の中にあり、意識の中から問題がなくなると、現実の問題も解決していくのだ。

そうであるから 
悩んで悩んで悩みぬいて動けなくなっている人は、

真実の意識、本来の自分、『自己本来の面目』に気づく一歩手前まで来ているので
もう 『ひとふんばり』 悩みぬけば

本来の自分を思い出して

『自己本来の面目』に気付き

人間本然の

自由自在な動きが出来るようになるのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11月の中今呑先生と真鍋白鷹先生とのコラボセミナーが開催されます

内容は未定ですが、お楽しみに・・・・


リンク・・・http://ajiaseitai.blog.shinobi.jp/
















posted by 中今呑 at 15:56| Comment(1) | 創造論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

『第20回』植芝盛平に如是我聞

中今呑先生 書くの如く語る・・・・・・・・・・・・・ 


「 天浮橋について教えてください。」      


「 天浮橋(あまのうきはし)の

「あま」は

「あ」(無限の大光明、全大宇宙)の

「ま」(全体・全備)という意味であって、

 全大宇宙をそのままということ。

「うき」は体系構成の立脚点が未だ定まらない状態、

 また体系の始元に突入して、その体系を脱却し、自由自在に

 なった状態を現わす。

 「はし」は端(はし)即ち両端(はし)であって、

 一切が相対の両端に分かれた状態。

 霊は体に、生は死に、明は暗に、時は空に、善は悪に、

 美は醜に、理想は現実に、本心は業想念に、というように。

 したがって

 「天浮橋」とは

 霊体、生死、明暗、時空、というように、

 相対の両端に対立している

 両極をも脱却し、超越して、

 何物にも縛られたり囚われたりすることの無い

 自由自在な立場に立った状態をいうのです。

 ここから一切の縛りの無い

 自由自在な「無限創造」が可能となります。

  陰陽の両極を把握して

 それを超越したところに、

 陰陽不二・太極的絶対自在の境地があるのです。

 そこにこそ全く新しい「無限創造」の始元があります。
 
 如何なる局面をも自在に転換する極処が「天浮橋」なのです。

 地獄を現すのも極楽を現すのも表現の自由ですから、

 地獄を極楽に瞬時にして転換する

 自由自在性がなければならないのです。

 その為には常に「天浮橋」に立たなければならないのです。

 「天浮橋」は如何なる創造をも可能にする、

 絶対自在の「無限創造」の源泉であり、

 始元の極処なのです。    」



「自己本来の面目たる自由な自立した人間のあるべき本心とは

 如何なるものですか。」



「 天浮橋 に立てる無念無想無我無心純真無垢虚心坦懐自然 
 
法爾自由自在の心こそ 自己本来の面目たる自由な自立した

 人間の本心です。  」

2007年03月15日の日記より



posted by 中今呑 at 13:32| Comment(2) | 訊く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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