量子力学・般若心経
「私達人類はどのようにしてこの地球上に存在しているのでしょうか。
実はこの宇宙と思っている大宇宙は、宇宙空間の中に幾重にもおり重なって存在しています。
私達はその中の一つの宇宙に属しているのですが、この宇宙にも様々な場があり、多くの現象宇宙が無限にあるのです。
そう言う現象宇宙というのは、現象的には爆発や収縮というエネルギー運動によって表出され、その宇宙には音あり、光ありでとても流動的であり、幻想的です。
ということは一瞬一瞬の創造現象が中今(今という瞬間)にのみ存在しているのです。
つまり、この現象世界は創造の真っ只中にあるものですから、その中今から考えたら、前も後ろも「空(くう)」なのです。
だから、過去も未来も空なのです。
空の中から中今の一瞬に創造現象が出現して、つぎの刹那には空に戻るということを絶えず繰り返しているのです。
その中で オーン と音が発生し、音と光が共鳴した瞬間に意識の記憶が明記されていきます。
それが私達の細胞においてはDNAに記録されているのです。
そうして、この縦・横・高さの物質次元として地球を生み出し、音と光と熱を使って創造活動を続け、その意図をDNAのなかにあるような幾何学文様の記号として記録し、この大自然の海や山や河や岩や動植物などのあらゆるものに、そして人間の遺伝子に情報として組み込みました。
特にこの地球は全体が水で覆われた「水の惑星」として出現し、その水量の多さと海と陸の割合が7対3に保たれ、私達人類も体内水分量がほぼ同じ割合の70パーセント内外で生きているということは地球も人類も同一創造力からできていることの証明です。
そしてこの地球には様々な形で出現したいろいろな生命体が、長い期間、水中に漂い発芽していく行程を経て、生命が水の中から生まれたこともまさに人間の母胎における発生過程を観ると明らかなことです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=234115279&owner_id=6230586 そしてそれは今も繰り返されているのです。」
「空(くう)とはどういうものですか。」
「この世のあり方は、般若心経に書いてあるのですが、色即是空、空即是色という言葉で表わされているといっても良いと思います。
これはどんな意味かといいますと、「色」とは目に見えたり、形があるもの、つまり、物質的現象として存在するもののことです。
「空」というのは「何もない状態」のことで、実体として、主体として捉えるべきものがない状態のことです。
そうしますと、色即是空というのは、われわれの肉体や物質は「空」である、実体のないものである、ということになります。
空即是色というのは、空は色である、空は物質である、ということになります。
そういうことから考えますと、われわれは空から生まれてきたのだなと思えます。
空とは無限といってもいいでしょう。ですから、われわれは、無限界から生まれて来たということのようです。」
「おもしろいですね。空についてもう少しお話願えませんか。」
「では、般若心経の空についてもう少し話してみましょう。
般若心経には 『五蘊皆空と照見して一切の苦厄を度したもう』 と書いてあります。
これこそがお釈迦様の悟りで、沢山ある般若経もこのフレーズの解説に過ぎません。
法華経もこのお釈迦様の悟りに導くための方便品の羅列集です。」
「そしたら、ここに書いてある空がわかれば悟れるということになりますね。このフレーズから説明してください。」
「五蘊とは煩悩を引き起こすもので、色(肉体)・受(感覚)・想(想像)・行(心の作用)・識(意識)の五つです。
これら五つをみな空だと照見すれば、一切の苦厄が解消して、生きる喜びにあふれた涅槃の世界に遊ぶことができるという意味でしょう。」
「すべての苦、つまり、四苦八苦を一気に解消して、涅槃の境地に至るには空の実相を知る必要がありそうですね。
四苦八苦とはなんですか。そして、空とはどのように考えたらいいのでしょうか。」
「四苦とは生、老、病、死のことです。
八苦とは生、老、病、死の四苦に愛別離苦(愛するものと離別する苦しみ)、怨憎会苦(怨めしく憎らしいものと会わねばならぬ苦しみ)、求不得苦(欲しいものを求めても得られない苦しみ)、五陰盛苦(五蘊が引き起こすあらゆる苦しみ)を加えたものです。」
「空についてもお願いします。」
「それでは般若心経を訳出してみましょう。
『観自在菩薩が般若羅蜜多を唱える深い行にはいった時、五蘊である色受想行識は皆空だと悟って、一切の苦厄を解消した。
舎利子よ。形あるものも、その実態は空であり、空はただちに形あるものとなり得る。
形あるものとは実体がないものであって、実体がないからこそ形あるものなのである。
感じたり(受)、想ったり(想)、意志を持ったり(行)、知ったり(識)する心の働きも、実体がないのだ。
舎利子よ。この世の存在するすべてに実体がないのだから、生じもせず、滅しもせず、穢れもせず、清くもならず、増えもせず、減りもしない。
それゆえに、空の中では、形ある物質や肉体もなく、感じたり、想ったり、意志を持ったり、知ったりすることもない。
見ることもなく、聞くこともなく、嗅ぐこともなく、味わうこともなく、触れることもなく、心に感じることもない。
色かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触感もなく、心を動かすものもない。
目に実際に見える世界もなく、あるいは意識の中の世界もない。
人の苦しみの根源である無明もなく、また無明が尽き果てることもない。
それと同じように、老いることも死ぬこともなく、また老いることと死ぬことが尽き果てることもない。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをなくすことも、苦しみをなくす道もない。
知ることもなく、得るところもない。
そういう空の実相を直覚し得たなら、心に思い煩いがなく、思い煩いがない故に、恐怖はありえず、一切の、煩悩による誤った想念から遠く離れて、心の静まった安らぎの境地である涅槃に至る。
過去、現在、未来にまします無数に多くの仏たちは、般若波羅蜜多を唱える行によって、この空の実相を直覚することができ、無上正等正覚の完全なさとりを得るに至るのだ。
故に般若波羅蜜多は是れ大神咒であり、是れ大明咒であり、是れ無上咒であり、是れ無等等咒である。
能く一切の苦を除き、真実にして虚ではない。
故に般若波羅蜜多の咒を説く、即ち咒を説いて曰く。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経』 」
「では空の実相を直覚するにはどうすればいいのでしょうか。」
「般若心経には 『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄』 (観自在菩薩が般若波羅蜜多を深く行じた時、五蘊はみな空だと照見して、一切の苦厄を解消した)とあります。
観自在菩薩、つまり、さらなる完全な悟りを求める人が般若波羅蜜多を深く行じたら、この世のあらゆる現象は空であるとわかったのですから、般若波羅蜜多を深く行じればいいのです。」
「般若波羅蜜多を深く行じるとは具体的に、何をすればいいのでしょうか。」
「『般若波羅蜜多は是れ大神咒なり、是れ大明咒なり、是れ無上咒なり、是れ無等等咒なり、能く一切の苦を除き、真実にして虚ならず、故に般若波羅蜜多の咒を説く、即ち咒を説いて曰く』とありますから 『咒を唱えよ』 ということでしょう。」
「咒とはなんですか。」
「般若心経においては、『ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボディ スヴァーハー』 です。」
「それは意味のある言葉なのですか。」
「サンスクリット語です。意味は単純に訳すと 『渡った、渡った、彼岸へ渡った、完全に渡った、おめでとう』 となります。」
「なんだか、深遠な空の実相とは程遠い感じがしますが。」
「真理とは単純なものです。彼岸へ渡る事を最終目的とする人々にとっては、この咒こそが最良のものです。
仏教においては 五蘊を空と照見して一切の苦厄を度し、涅槃の境地へ至ること、つまり、悟ることを『彼岸へ渡る』とたとえていますから、悟るため、『彼岸へ渡る』ための咒は『渡った渡った、彼岸へ渡った、おめでとう』 でいいのです。」
「目的によって咒も違って来るのですか。」
「そうです。咒は目的を象徴的に言葉で表わしたものです。
目的達成のイメージ(想念)を言葉に込めて唱えやすくまとめたものといったら解かりやすいでしょうか。」
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経(ギャーテ ギャーテ ハーラーギャーテ ハラソーギャーテ ボジソワカ ハンニャシンキョウ)じゃなくてもいいのですか。」
「そうです。その人の願いに合わせて、思うとおりの言葉を自分で自分の咒にしていいのです。いや、その方がむしろいいのです。」
「それは、人間は誰でも、自らの願望を達成するために、その願望を言葉にして唱えればいいということですか。」
「そのとおりです。何度も取り上げますが、聖書に
『はじめに言葉あり。 言葉は神とともにあり。 言葉は神であった。』
と書いてあります。
これは、言葉は神であり言葉には神と同じ創造力があるということです。
たとえば、神様が『光あれ』と言われたら光ができました。
それは神様が、『光あれ』と言葉で言われたから出来たのです。
つまり、言葉には創造力があるということなのです。
このように考えると、咒は創造力のある言葉ですから、その咒の持つ想念がそのとおりに創造されるのです。
ですから、咒はあなたの願いに応じて、あなたの言葉で唱えるべきものです。」
「般若心経の読み方において目から鱗が落ちた気がします。
どうやって読み解いたのですか。」
「前にも取り上げましたが、インドの古い本であるウパニシャッドに
――太初には、この世は実にブラフマンのみであった。
それは自分自身を『われはブラフマンなり』 と自覚した。
その結果それは一切となった。
神々のうちでこれ(ブラフマン)を自覚した者は誰でも、それ(一切)となった。
聖仙たちにとっても、人間たちにとっても同様である。
(『ブリハット・アーラニヤカ・ウパニシャッド』1・4・10)――
と書いてあります。
これを読んだ時、人間は誰でも自らが何者であるのかを自覚しさえすればそのとおりになれるのだと思いました。
そこで、その時、私はこの世の真理を悟りたいと思っていましたので、そのまま
『私はこの世の真理を悟った』
と唱えることにしたのです。
そうしたら、これまで話してきたようなことがわかったのです。」
「ブラフマンとはなんですか。」
「ここでいうブラフマンとは 『宇宙の最高原理』 を示すインド哲学の術語で、生気(プラーナ)、意(マナス)、言葉(バーチュ)などの精神原理を超え、個体を統一する普遍的な最高実在であるアートマンと同一視されているものです。
神や仏、宇宙大生命、サムシンググレートなどと呼ばれているものとおなじだと思えばいいでしょう。」
「それで、『私はこの世の真理を悟った』と言ってから般若心経を読んだら理解できたというのですか。」
「そうです。私の切実な願望をそのまま言葉にした『私はこの世の真理を悟った』という咒によって、読み解いたのです。」
「空について頭の中ではそれなりのイメージが持てましたが、今までの話は宗教的というか観念論に片寄り過ぎているとは言えませんか。
科学的な説明も出来るのでしょうか。」
「わたしはこの現象世界を創造の真っ只中にあるものと思っていますから、その中今から考えたら、前も後ろも空だと思っています。
だから、過去も未来も空なのです。空の中から中今の一瞬に創造現象が出現して、つぎの刹那には空に戻るということを絶えず繰り返しているのです。
これが先ほど話した諸行無常、諸法無我ということなのです。
――「諸行無常ということばが仏教用語にあります。
これは、仏教の根本思想である三法印の一つで、意味は、万物は常に変化して少しの間もとどまらない、ということになります。」
「それらと創造力とはどんな関係がありますか。」
「それを少し説明しましょう。
三法印の二つ目は諸法無我です。
これは、いかなる存在も永遠不変の実体を有しない、と言う意味です。
もう一つは涅槃寂静で、煩悩を断じた悟りの世界は、心の静まった安らぎの境地であるということです。
ついでに、一切皆苦を三法印に加えて四法印ともいっています。
一切皆苦とは、一切の現象的存在はすべて苦である、という意味です。
さて、この三法印、四法印と、人の創造力とのかかわりですが、これは創造現象とそれにまつわる付帯事情を、人間生活に事寄せていい表わしたものだと思えばすぐわかります。
つまり、この世は一瞬一瞬が創造現象ですから、諸行無常である事に間違いありません。
また、この世に存在するものは、中今の一瞬にしか留まり得ない一瞬一瞬の創造物ですから、当然、永遠不変の実体を有しない諸法無我であるのも頷けます。
ここで、諸行無常、諸法無我を悟れば、つまり、この世は創造現象の真っ只中の中今にしか存在しない事、を包括的に悟り得れば、涅槃寂静の世界が中今眼前にあるのです。――
この話が宗教的観念論的だという指摘はその通りですが、ここでは創造力というキーワード
を登場させて説明しています。
実は私の話は『人間は神と同じ創造力を持っている』ということに集約されます。
一方、科学的説明は出来ないかという点については、現代物理学の本において 『ホーキングの最新宇宙論』などを見ると、次のようなことが書いてあります。
『量子力学によれば、空間は“仮想的な”粒子と反粒子の対で満たされています。
この対は、つねに粒子と反粒子の対の形で生成し互いに遠ざかっていき、しまいには、また近づいてきて、対消滅してしまうのです。
これらの粒子と反粒子が仮想的といわれるのは“実在”の粒子とは違い、粒子検出器で直接観測することができないからです。
それにもかかわらず、仮想粒子の効果を間接的に測定することはできます。
仮想粒子が実在することは、励起状態にある水素原子から出る光のスペクトルに生じる小さなズレ(ラムシフトという)から確かめられています。』
『真空とはなにもない状態ではなく、不確定性原理により許される短い時間内で、絶えず粒子とその反粒子が対になって生成・消滅を繰り返している』
現代物理学においてもこのように真空について述べていますから、般若心経の空とはその表現
方法に多少違いがあるにしても、科学的思考に慣らされた頭の持ち主にも、理解するための取
っ掛かりにはなると思います。」